日本経済新聞 2002年1月1日(火)文化欄[PDF:431 KB]
初春、飛天と空へ
◇人々の天上へのあこがれを追い求めアジア巡歴◇
吉永 邦治
天衣をたなびかせ、のびやかに天空を舞う・・・・。古代の人々は天上へのあこがれの象徴として、光、空気、水などを擬人化し、優美な飛天の姿を作り上げた。
私は三十年余りの間、遺跡や石窟(せっくつ)の壁面などに描かれた飛天の姿を追ってきた。インド、アフガニスタン、パキスタン、チベット、インドネシア、カンボジア、中国、朝鮮半島、日本など、ユーラシア全域を巡歴した。写真に収め、スケッチした飛天は計り知れない数に上る。
チベットで「飛ぶ」感覚
きっかけは、四十年ほど前にさかのぼる。ドイツに遊学した当時の私は、西洋美術にあこがれ、西洋人への変身を夢見る若者だった。だが西欧各地を旅し、芸術家の家庭に身を寄せて暮らしてみても、自分の接点は見いだせなかった。
その後、ふらりとインドに行き、目からうろこのが落ちた。人間と動物が一緒に生活する光景、ガンジス河の流れに身を任せて沐浴(もくよく)する人々の姿を見て、心の中に宇宙を取り込んだアジア的な自然観が自分の中にあることに気付いた。帰国して、インドに似た雰囲気のある高野山の高野山大学に入り、東洋美術、仏教美術を学ぶ中で、飛天に興味を抱いた。
研究を始めたころ、チベットの山に登り、五千メートルもの峠に立った。風に吹かれて、雲が目の前を過ぎて行く。このまま足を踏み出して雲に乗れば、天空を飛んでいけるのではないかという錯覚に陥った。インドは飛天の発祥の地ともいわれるが、こうした環境の下で生まれたのは、実に自然なことだと思えた。
西洋では、キューピッドのような有翼の天使が盛んに描かれた。物理的な浮揚力を生む翼で飛ぶというのは、西洋らしい合理的な思考だ。これに対し、インド以東の飛天の多くは翼を持たず、上半身に衣をまとい、風を受けて飛ぶ。
飛天は仏教の東斬ルートにそって東に伝わった。その中で、何千年もの時の流れを感じさせながら、微妙に姿を変えていく。その軌跡をたどってみよう。
古代インドの飛天は、インド最古の文献「リグ・ヴェーダ」に出てくる半袖ガンダルヴァやアプサラスなどが源だが、やがて仏教に取り入れられ、仏をたて、守るという役割を担う。マトゥラーやサールナートといったインドの仏教遺跡では、仏坐像の光背部分に浮き彫りになれた飛天に出合った。足を折り曲げ、人間が大きくジャンプしたような格好をしていて、未だ飛天らしさは少ない。
アフガニスタンやパキスタンなど、西方の影響の強い中央アジアでは、有翼天使のような姿と、翼なしで空を駆ける飛天が混在している。昨年、タリバンによって破壊されたバーミヤンの高さ五十五メートルの大仏龕天井には、ここに掲げたスケッチのような飛天が描かれていた。天人一体と天女二体が一組になっている。彩色豊かで珍しいものだっただけに、破壊されたのは残念でならない。
シルクロードを旅してた時のこと。オアシス沿いの町でスケッチブックを広げていると、どこからともなく子供たちが集まり、口々に「自分の顔を描いて」と迫ってきた。やがて大人達までも続々とやってくる。こんな人数では何年かかっても無理だと思って車で逃げ出した。が、走っても走っても、馬やラクダを駆って飛天のごとく迫ってくる。不思議なことに、この地域には、彼らが馬に乗っているときのような姿勢の飛天が多く描かれていた。
折れた足で石窟を登って
旅先では思わぬことが待ち受けている。中国の西域地方、天山南路を車で何百キロもひた走った後、キジル石窟を目の前にして、足を骨折してしまった。石窟には、風が吹くと揺れ動くような細いはしごが一本かかっているだけ。私は飛天を見たい一心で、一段一段、足をひきずりながら、よじ登っていった。美しく着飾り、天界の楽器を奏する飛天に出合えた時は、天にも昇る気持だった。
シルクロードを東に進むにつれ、西方的な翼をつけた飛天は姿を消し、絹織物で仕立てられた天衣をまとった東洋式の飛天が増えてくる。中国西北部にある敦煌の莫高窟千仏洞は、飛天の密集地帯だ。全部で四百九十二窟に四千五百体ほどの飛天が描かれ、一窟の中に百五十もの飛天が乱舞するところもある。大きさも五センチくらいから五メートルにも及び、姿も様々だ。
莫高窟での私は、ほとんど天井や周縁ばかりを写真に撮り、スケッチしていた。もちろん、そこに飛天があるからだ。熱心に仏像を見ている他の見学者から「この日本人は、なぜ上ばかり見ているのか」といぶかしげな目で見られた。
中国や朝鮮半島までくると、飛天は鶴に乗って天空を飛ぶ仙人のような仏教伝来の以前の神仙のイメージと融合する。雲に乗ったり、たなびくような天衣を持つなど、独特の姿が見られる、それが日本にも伝わったのである。中国の龍門石窟では、法隆寺金堂に描かれた飛天とそっくりの姿も見られた。一方、ボロブドゥール、アンコール・ワットなど、東南アジア各地も訪れ、中部インドなどに通じる飛天と出合った。
天空とのつながりを感じさせるインド、東西交流の跡が読み取れる西域、自然と人間が融和する中国、それらが豊かに花ひらいている日本・・・・・・。飛天の研究は、東洋人の心の底に流れる完成の研究でもあろう。
画家として自分の作品を
これまで私は、旅の成果として飛天の画集を作り、国内外で個展を開いてきた。さらに、飛天の図像学的な分析を盛り込んだ「東洋の造形」「飛天」「飛天の道」など、数冊の本を発表する機会に恵まれた。
過去の飛天の研究だけでなく、画家として新たな一ページを書き加えたいとも思っている。今は旅を続ける傍ら、オリジナルの飛天を描こうと、様々な思いを巡らせているところだ。平成の世に生きる日本人の感性を絵に込め、アジアの先人達が残した飛天とともに天空を駆け巡りたい。(よしなが・くにはる=画家)