2002年7月26日(金)~9月1日(日)
成羽町美術館
シルクロードの心を描く – 吉永邦治の世界
洲之内徹展が取り持った縁 平松英志(成羽町美術館長)
私と、吉永邦治先生との出会いは今から丁度5年前の事です。当館では特別展「気まぐれ美術館 - 洲之内徹と日本の美術 - 」展を開催した際、「これも何かの縁では」と、ご自身の素某作品集をご寄贈いただきました。
以前より、先生と親交のあった洲之内徹氏が寄贈されていた、御二人の御親交の記念的その作品集を手にして、私はないかを人に語るものを感じました。それはぞ分自身が語ろうとしているのか、その風景、人物、その人の生活に語らせているのか、過去も現在も未来も見えているような錯覚すら覚えました。
高野山大学で学ばれた仏の世界と仏教美術によるものか、人に見せるために描かれた絵というより、自分を絵にして、自分の感情、情熱を紙の上に叩きつけながらも、落ち着いた奥深ささえ感じさせて飽きない。これが「吉永邦治の絵の世界」なのかもしれません。
このたび、「シルクロードの心を描く - 吉永邦治の世界」展を開催する運びとなりました。
今展には、未発表の対策も多く、御来館の皆様にご満足していただけるものと信じております。
最後になりましたが、吉永先生の御感謝とおれを申し上げ、今後「吉永邦治の世界」の益々のご発展をお祈り申し上げます。
吉永さんの絵を見ていると・・・・ 高橋義人(京都大学教授)
現代美術はいまや衰亡の危機にひんしている。それは明らかに現代文明の危機と重なりあっている。今日のわれわれは、バウハウスのような機能美を追求することも、レジエのように機械文明の抽象化された形態を賛美することももはやできない。
吉永さんは現代尾ずつの危機を自価格するとともに、現代文明そのものに背を向けて、新しい絵画の空間を切り開こうとしている。知るうロードやモンゴルに題材をとった作品が多いのも、そのためであろう。
吉永さんは文明から隔絶した土地を見つけるのだ。現代文明に疲れていない人々、大自然に包まれて暮らしている人々、自分の馬とほとんど一体となっている人々、純朴なこころw 持っている人々を。
吉永さんの絵を見ていると、ぼくたちがとうの昔に忘れさってしまった世界、人間にとって根源的な世界に引き戻される。その世界を「自然と人間との共生」と名付けることは容易い。
しかし、そのようにして自然と共生している人々がいかに生き生きと暮らしているかは、吉永さんの絵を直接に見なければ分かるまい。
吉永さんの絵は、自分自身の生き方を反し得する機会をぼくたちに与えくれるのである。
私の感ずること 山口長男(故人・武蔵野美術大学名誉教授)
吉永邦治君の日常の仕事ぶりを見ると、それは一般的画かいの在り方とは異なっている。
画かきの修行が減税、完成を目指していの努力であるならば、彼はミカンを求めてひたすらに行動をする数少ない行者と観ることが出来る。
それは彼が学校を出てから実に高野山大学への再入学を求めたというその経歴の中に彼の求道の糸を窺うことが出来るだろう。
彼は広汎に対象を各地各街かに求めて極めて沢山の素描的素行を継続して、遠く中近東まで遠心的ん行脚を求め続けている。それは単なる画家の外遊ではなく、自らの心身に触れるあらゆる物象の古を求め歩く修行のように見える。
彼は、行者であり、こうした学究者でもある。
彼の仕事が外面からも益々成長してゆく状態を観て、私は遅播き乍ら学ばざるを得ない。
大いなる未成へ向かって先達となって欲しい。
茫洋とした・・・・モンゴル
モンゴルなどを旅したときのこと、朝、太陽が昇り、夕日が沈むまで、日からいが草原の空気を包みこみ、なんともいえない色彩を織りなす。この茫洋とした美しさを目前にして描かずにはいられない自分がいた。自分は自然からなんと多大な恵みを受けた人間ねあろうかと思った。
この自然からの恵みを、これからの人生、絵をとおして 自然にも、人びとにもかえしていけたらと思う。
飛天の夢・・・・シルクロード
不思議なもので、西洋から東洋世界へ、美の根源を求めて三十年もの度を続ける中で、出会った「飛天」を研究し描き続けていることを思うと、天空へのあこがれが、そのまま今につながってきているといえる。
シルクロード各地の遺跡で数千年前に刻み、描かれた壁画をみるにつけ、古来の画家もはるかかなたの永遠なる宇宙に想いをはせ、あこがれをもっていたであろうことがしのばれるのである。
身も心も・・・チベット高原
我われは、ふだん何げなく吸っている空気をどれほど意識して生活してるだろうか。
かつて私は、ヒマラヤ山脈のチベット高原の地へ旅をして、海抜5,150メートルの峠に立ったことがある。地上からだんだん高度が上がり、空気が希薄になっていくなかで、意識は鮮明になり、風の音や香りが敏感に感じ取れるという体験をした。
だが、とにかく苦しかった。ひとえに「高山病」という病名で説明できるほど簡単な事ではない。
失われた時・・・バーミヤン
かつて、アフガニスタンを旅した時、私は、この大仏の頂上に登り、その周辺の壁画を調査し、また、大仏を目前にしてデッサンしたことがあった。昨年の3月19日も、バーミヤン大仏の大作(4メートル程)にとりかかっていた。描きすすめていたその日の夕方、たまたま西の空に目をやると、空が黄金いろに染まり、沙塵がキラキラと舞っていた。その時、一条の沙の光が、アトリエの方に向かって飛びこんできて、描いている大仏の体内に入っていく幻想を、私はみた。
不思議なことに、その日の夜、大仏の破壊を知った。
今でも、この作品をまえにすると、超然とたたずむ大仏は、この世の人間のなす行為をどのような想いでみていられるのかと思う。
天使と天女のかけはし・・・・イスタンブール
トルコを旅した時、アジアからヨーロッパへ、ダーダネルス海峡をフェリーで渡った。「ヨーロッパとアジアのかけ橋」とうたわれたイスタンブールを散策し、街の風景をスケッチしていると、西洋と東洋がひとつにとけあっているのが感じられた。
「トプカプ宮殿」や「ブルーモスク」などがある旧市街のエジプシャンバザールで、チャイを飲みながら往来する人びとの顔を男達の後ろ姿をみていると遠く中国の長安からローマへいたる道・シルクロード・そこを古来、東西の民族が交流していた、いにしえの時代のことが偲ばれてくるのであった。
「時」の絵 吉永邦治さんの作品に寄せて 野村正育(NHKアナウンサー)
「時を」感じる絵である。。
悠久の「時」。揺るがぬ「時」。層をなして、重なり合って、歴史を形づくる「時」。
砂時計の一粒、一粒に絵の具をまぶして、キャンバスの上に降り積もらせたならば、このような表現になるのかもしれない。
チベット・ラサのポタラ宮殿のそそり立つ壁にも、シルクロードのオアシスのテントの上を吹き抜ける風にも、そして、ホータンの女の不思議に透明な表情にも、語りつくせぬ「時」が積み重なっている。
しかし、そのれは剥出しのものではない。
分厚い、ざっくりとした筆致が、ひとつひとつの「時」を見事に固定して、しかも、それでいて慎重に、透明な薄い、ごく薄い、画家の主観の向こう側に整えられている。
そのようにして吉永さんは、観ご尾tに私たちに風景を提示してくれる。
初めてお会いしてから、およそ10年になる。
当時、私が担当していた「シルクロード・ロマンの旅」という番組で、「飛天」をテーマにし取り上げたことがあった。西洋ではエンジェル、そして日本では天女などに通ずる、「空を自由に飛ぶ、翼の生えた超自然の存在」の図像が、シルクロードwどのように伝播してきたかを追跡するのが狙いだった。
吉永さんは、そのシルクロードを実際にタブをされ、しかも画家として「飛天」をご覧になってきた経験から、番組での解説をお願いしたのだった。
依頼、作品展の案内をいただいたり、手紙の往復が続いている。
アメリカの国民的な画家、A・ワイエスが自らの表現についてこのように述べている。
「時は過ぎゆくという感覚を伝えたいのだよ。」
その静謐眺めん、詩的な絵には、確かに滅びゆくもの、移ろい動くものへのオマージュがこめられている。
吉永さんの描く「時」は、さらに永続する。短いスパンで微分してみれば、動いているものの、遠近法の中でとらえてみれば何ひとつ揺らぎがない。
先の大震災をも、そのようにして乗り越えて、静かにキャンパスに向かっておられるのではないか。そう思えてならない。
懐かしい風景・・・・オリエントから日本まで 吉永邦治
中近東にある街、エルサレムは、北緯31度46分であって、ちょうど霧島の高千穂の峰と同緯度である。また、かたやイエス・キリストが降誕した地であり、高千穂は、天孫降臨の地であると記されている。私自身は、東シナ海の近くの川内市生まれであるが、なぜか子供の頃からアジアの大陸をそう遠いところと思わないで、自分の家の庭のように感じていたように思う。現在も中近東から日本にかけての地域すなわちユーラシア全域への旅をし続けている。
中国へ行くと何かなつかしい風景を。シルクロードでは異国の香りを。インドあたりに行くと、幼き頃の鎮守の森で遊んだこと。東南アジアでは、腰を折り曲げての挨拶に祖母の姿がうかんだり、トルコやイランあたりのバザールで出会った男たちのまなざしに、自分の祖先をみる思いがした。
私にとっての旅は、なつかしい原風景への憧憬である。
作家紹介
吉永邦治 Kuniharu Yoshinaga
1944年 鹿児島県川内市に産まれる。
桑沢デザイン研究所で学び、ドイツ遊学。
その後、高野山大学に入学に、山本智教博士に東洋美術、仏教美術などを学ぶ。高野山大学文学部仏教学科卒業。
絵画は、山口長男氏に師事し、東洋各地の風土や人物を描き続ける。一方「気まぐれ美術館」(新潮社)の著者である洲之内徹氏との出会い、彼の主催する現代画廊にて、インド、シルクロード、中国、日本各地を描いた作品の個展を開き、その度に多大なる影響を受けた。
現在まで国内外各地で個展を催し、2000年には、鹿児島市立美術館より依頼を受け、20世紀回顧「鹿児島と洋画展」に出品した。
また、日本各地、鹿児島市「吉野デッサン館」、枕崎市「南溟館」等に作品が収蔵されている。
一方、大学時代より飛天を求め、インドをはじめシルクロード各地、チベット、中国、東南アジアを旅し、数え切れないほどの飛天を描くとともに、研究を深め、多数の著作本が出版されている。
また、シルクロードの度や飛天についての講演が各地で催される機会も多く、平成14年1月1日には、日本経済新聞の文化欄に「初春、飛天と空へ」というタイトルで掲載された。
現在大谷女子短期大学助教授。
画歴
<海外個展>
ベルギー・ヘリコン画廊
ローレライ画廊(日本大使館後援)
<国内個展>
東京:伊勢丹新宿店・現代画廊
大阪:阪急百貨店うめだ本店・高宮画廊
その他各地
<著書>
「飛天」(序文:金倉圓照博士)源流社刊
「白と赤の十字路」(図書館協会選定)京都書院刊
「東洋の造形」(図書館協会選定)(序文:宮坂宥勝博士)理工学社刊
「吉永邦治素描作品集」京都書院刊
・第1巻「大阪素描作品集」(序文:洲之内徹)
・第2巻「シルクロード素描作品集」(序文:大勝恵一郎)
・第3巻「インド素描作品集」(推薦文:梅原猛、序文:木村重信)
「吉永邦治の世界」(序文:嶋野榮道)アトリエ・アプラサス編
「飛天の道」小学館刊
<テレビ>
NHK「シルクロード・ロマンの旅」飛天の道~インドから日本へ~
に出演
<アトリエ>
〒674-0057 明石市大久保町高岡5-21-33