跳びはねる子供たち
半 田 知 子
子供達が、手をつないで跳びはねながら、ぐるぐる川っている。吉永さんの絵の中に確か、そんな絵があった。
マチスの躍動的な青と同じような明るい書の中で、子供達が乱舞しているようにみえた。
子供達はこんな風でないといけない、こんな風に何にもとらわれず、体のおもむくまま、跳びはねる姿をみたいと心から思った。
また、真っすぐにこちらを見つめている男の子の絵があった。その素朴な表情と澄んだ眼に魅せられてしまった。
阪神大震災によって御自身の住居とアトリエが全壊したあとの混乱の中、描き続けられた絵のように伺っている。
私が吉永さんの師である山口長男さんにお会いしたのは、十七年前の吉永さんの結婚式であった。私の人学時代の親友・昌子さんと結婚されたからである。山口長男さんは、美校卒業後、フランスに渡り、佐伯祐三や荻須高徳らと、制作に励むが彼らとはまた違った独自の世界を持つ絵を描きつづけたとある。
そんな人とはつゆ知らず、仲人をしておられた山口長男御夫妻にお会いした。ちょっと気難しそうなおじいさんと思っていた。
山口長男さんの御挨拶が、今も私の心にはっきり残っている。新郎新婦の紹介を簡潔にされたあとで、吉永さんの方に向きなおり、ひとことずつかみしめるように話された。
―君は、今まで多くの人のお蔭でここまで立派になられました。これからは御自分の勉強とともに、御自分が多くの人に育ててもらったように、若い人達を育てて、学んだことを伝えていって下さい。
こんな風だったと思う。私には、とてもあの滋味溢れる言葉の数々を表現できないが、私はその誠実な御祝詞を忘れることができない。何と素晴らしい先生に吉永さんは師事されておられるのだろうと、とても羨ましかったのを覚えている。
あれから十七年、吉永さん御自身がお二人のお子さんに恵まれ、子供達を見るまなざしが人きく広がり、師と同じ暖かい視点に立っておられるように思う。吉永さんはその師との約束を、黙々と果しておられるのに違いない。そして、飛天を描き続けてこられた中で、今、地道に生きる人々の姿に在る飛天を描いておられるように思う。
「そこにその人がいる」
生きる喜びと、根源的な存在感を感じさせる吉永さんの絵をみることで、深く私は励まされるのである。