吉永先生との出会い

吉永先生との出会い
山 本 トシ子

話は二十年余り前になります。
高野山大学の卒論に何をしようかと、お見えになられました、、今まで誰もやっていない「飛天」をやってはどうかと云う事になったようです。その後、何回か学枚や妙寺の家にも足を運ばれ最後には、整理された重い沢山の写真と分厚い論文を持って来られたように覚えております。私は素人乍らも大変な御労作だなと思ったものでした。その後、年に何回かはお見えになり、夫と二人で印度、中国の話を始めたら盡きる事はありませんでした。
先生はヨーロッパを始めとして中近東、インド、中国、チベット、モンゴル、東南アジアヘの旅をつづけられ、語りつくせない貴重な体験をなさいました。幼い頃から、鉛筆好きの先生は、地球上のあらゆる地域に旅をして、大いなる生き方をしている様々な人々と出会い、人間として心豊かに楽しい生き方をしたいと思われたそうです。
暑熱の地インドで四年間留学をした私の夫と吉永先生の話、それに私も同行した時の思い出話は時の経つのを忘れ、深夜までも続きました。夫の恩師、印度のラグヴィーラ博士の御子息(何度か私方にも見えられました)で現在佛教学者として活躍なさって居られるロケーシュ チャンドラ博士が、ジャワのボロブドールの大建築は立体の曼荼羅を表現しているとの説を始めて云われたとか、佛教美術の話を二人で始めたら際限がありませんでした。
アヂャンタ エローラの石窟の外は焼けつくように暑いのに、洞窟の中に入るとひんやりと涼しく、対岸から見る窟の上の岡に数知れぬ猿の群が遊んでいた事など、悠久の印度への二人のあこがれは、傍で聞いているだけで感動いたしました。デカン高原にある窟を見てまわると、古代インド人が神や佛の心に出会うために、只ひたすらに窟を掘ったであろう事が切々と伝わって来て、熱い思いがこみ上げて来ました。
吉永先生が敬虚な信仰と自然に対して畏敬を持って生きて居られる御姿に夫は何時も感銘いたしておりました。
どうぞ、益々おすこやかで、太陽のように豊かに、ガンジス河のように悠然として御精進なされますようお祈りしております。

前高野山霊宝館館長(故山本智教博士夫人)

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