アトリエ「アプサラス(阿芙沙来蘇)」訪問記

吉永先生との出逢いから
アトリエ訪問まで

松 田 勝 美
感動の出逢い
逢うべき人には素晴らしいタイミングで出逢うから不思議です。
友人が大阪より私の家を訪ねると言うので、一九九六年(平成八年)十月私はたまたま鹿児島川内に帰省しておりました。
ところがその友人が、急に来れなくなったと連絡してきました。その時、薩摩島津家の菩提寺である福昌禅寺を訪れました。福昌禅寺の奥様が、昨日、鹿児島山形屋デパートの吉永邦治展を見られ、その素晴らしい作品に感動されたことを話してくださいました。直観的にすぐに見たいと思い、すぐさま西鹿児島行の電車に飛び乗っておりました。人との出逢いとは、ほんのちょっとしたきっかけで、それを掴むかどうかは、常に「熱き思い」を持ち、そして行動しなければ生まれないと思います。魂と魂がバイブレーションを起こし、響きあったときにはじめて出逢いが生じると思います。
正に吉永先生との出逢いはそうでありました。さらに、吉永先生が、私の学校の先輩と聞き、ますます感激したのです。
鹿児島山形屋デパートの会場に入ると、すぐに吉永先生にお目にかかりました。初めてお逢いした印象は、ものしずかで、おちついた方だと、思いました。作品の説明を詳しくして下さる目はランランと輝いておりました。ひとつひとつの絵が、私に、何かを訴えるかのようにせまってくる感動を覚え、いつまでもその場を去りがたい心境になりました。私は、絵はよくわかりません、しかし、吉永先生の絵を見ているだ
けで、何か温かい深いものにつつまれ、目には見えない生命のはたらきがあるような感じが伝わりました。あまりにも印象が強く、片道一時間かけて、次の曰も次の曰も、私は会場に足を運びました。

JR大阪ギャラリーでの吉永邦治展
(シルクロード悠久をいきる民)

……凄い反響
その後、吉永先生より、平成九年二月一日からJR大阪セルヴィスギャラリーで行われる個展の案内をいたたきました。
(パンフにはこう紹介してありました。「アジアの古代遺跡や仏教美術の研究を続ける画家吉永邦治氏が、二十五年にわたりシルクロード各地を描いた作品の中から素描、油彩画三十点を展示します。力強い線で描かれた人物や、風景から人々が自我を超え、大地と一体となって生きる雄大な作品をご高覧ください。」)鹿児島での印象が心に焼きついておりましたので、即刻、大阪周辺の友人知人にぜひ見てほしいと思い、たくさんの方にパンフを送付致しました。多くの方々が会場を訪れたと、感動の手紙を下さいました。吉永先生にお逢いしたい一心で何回もあしげく通ったが、先生にお逢いできず残念でしたとも言ってきました。その時の人が一年後に、吉永先生のアトリエを訪問する事になるのですから、御縁は繋がっているものでございます。JR大阪セルヴィスギャラリーには、大阪駅を通る何万人の多くの人がご覧になったとお聞きし、反響の大きさにびっくりしています。

東京での再会、話し尽きず
しぱらくして、吉永先生から、上京したので逢いたいと、電話がありました。新宿のホテルにてゆっくりとお話いたしました。
聞けば、高野山で、先生の絵を飾っていた時、かなり絵について造詣の深いお方が吉永さんの絵を買いたいと申され、この絵ほどのくらいするのかと、高野山の人に聞かれたそうです。ところが、その人は、今、ここに百万円持ち合わせている、それ以上だと山を下りて工面してくるといわれたそうです。高野山の人はその時はじめて吉永先生の絵の価値の凄さにびっくりしたそうです。先生は、高野山に行かれてから、宇宙的世界を観じられ、飛天の旅を続けられたそうです。今では、日本一ともいえる飛天の研究家ですが、先生と話していると、風薫る爽快さと、宇宙的大きさを感じます。
先生の周辺に見えない力のエネルギーが感じられます。いつも、時を忘れて何時間も話してしまいます。

嶋野榮道老師と吉永先生との御縁
たびたび吉永先生とお逢いし、又、電話で話すなかで、私か師と仰ぐ嶋野榮道老師の事が話題になりました。「昭和三十五年仏像一体とたった五ドルを持ちアメリカに渡られ、苫難の末ニューヨークに素晴らしい禅堂が建った。そこには素晴らしいドラマがあった。」事をお話し致しました。では、ここで嶋野榮道老師とニューヨーク大菩薩禅堂について申し上げますと、大菩薩禅堂はニューヨークマンハッタンから北西へ車で約3時間のキャッツキルという州立公園の広人な自然森林の真っ只中にあります。元インディアンの聖地と言われた場所で、まさに尺地創造を彷彿させる神秘的なビーチャー湖のほとりに建っております。
現在日本では想像もつかない理想の場所です。今、アメリカには五百ほどの禅センターと大小無数の禅グループがありますが、その中でもこのお寺は母体の礎がしっかりして、大菩薩マンダラそのものでアメリカ禅の礎であります。三島の龍澤寺の師家中川宋淵老師(嶋野老師の師)、千崎如幻老師、ジミー棚橋氏の因縁が結晶し、嶋野老師の渡米をまって、一気に見える形となり、コピーゼロックスを発明したチェスター・カールソン氏の徳心により、ニューヨークにお寺が建立されたのです。この時、ニューヨークタイムスが「アメリカ建国一〇〇年の時に、フランス政府が自由の女神を、建国二〇〇年の時に日本の無名な一禅憎が素晴らしい禅堂をプレゼントしてくれた」と、絶賛した記事を載せ話題を呼びました。
まさに素晴らしい禅堂です。一度訪れたら又行きたくなります。私も六年前嶋野榮道老師を訪ねこの禅堂の玄関に立った時感激で涙した事をおもいだします。世界各国の人々が参集し、嶋野老師の指導を受けておられます。老師は「仏法東漸の一翼を担うことを」今生、唯一の使命としていると述べておられます。このお寺は鈴木大拙陣士によって一九五六年に設立された、ニューヨーク禅協会を引き継いだもので、嶋野老師によりアメリカ禅の精神を持って指導が続けられております。こういう話をするなかで、いつしか、吉永光生も老師にお逢いしたいと言われるようになりました。私が、今年一月三十一日に東京新宿のホテルで嶋野榮道老師の講演会「生命燃ゆるとき」を開催致しました時、吉永先生も、スケジュールを全て外してご参加くださいました。
そして感動してくださいました。講演会後、吉永先生と老師をお引き合わせ致しました。老師は、吉永先生の絵(シルクロード素描集)をご覧になるや、吉永さんは日本のゴッホですね」といわれました。吉永先生の絵を見て大変驚かれたようです。二人でいつまでも話しておられました。ここに、老師と吉永先生の魂の繋がりがあったように思います。そして、吉永先生と老師との交信が始まっていきました。
講演会の翌日、朝食会も老師の隣は吉永先生でございました。特にアレンジしたわけではないのですが、話すべき人がいつもそばにおりました そして老師は、今年の雰囲気はいままでで.一番いいですね、とおっしゃいました よほど吉永先生との会話が楽しかったのだと思います。

花は人を選ぶ、
花の生命はいつまでも

老師を御見送りした後、昨日の講演会場に生体エネルギールの花を忘れた事を思い出しました この花はカーネーションですが体を癒す働きがあり、普通の花と違ってかなり長持ちするといわれています その花を皆様に分けてあげたいと思っておりましたがすっかり忘れてしまいました。老師のお泊まりいただいた部屋に置き忘れていたのです。ホテルに問い合わせた所、控室に人切に取ってありました。吉永先生が自宅に飾りたいと申されましたので、全ての花を差し上げました。不思議な事にその花は、吉永光生の自宅の全ての部屋で四十日以上に咲きつづけたそうでございます。今もドライフラワーになって生き続けております。花は吉永先生に渡すべく残り、花を大事にして下さる方花は知っていたのだと思います。

アトリエ訪問。
素晴らしい感動の瞬間

いよいよ吉永永先生のアトリエ訪問となりました。
一九九八年三月二十二日(平成十年)快晴、新快速が西明石にすべりこみました。
駅の改札までおでむかえ頂きました。十五分位すると、先生の自宅兼アトリエに着きました 玄関を入ると「遊牧民の女(シルクロード)」の絵がかけてあり、まず圧倒されました。令ての壁には先生の絵がかけてあり、まさに個展会場そのものです。部屋中爽やかな風が吹いているようです。少し階段を下りると、そこがアトリエになっていました。天井が高く、光が四方から差し込み、絵は、ライトアップされております。少し冷え冷えとする日でございましたが、先生の絵から発する暖かいパワーが私達を包んでくれました。素描集を観たときに、吉永光生の素晴らしい歩みを知りました。二十メートルの巻紙に描かれた飛天を観た時にインドから日本への民族の心の移り変わりの姿、時間と空間を超えた古代から現代までの美しいロマンを感じました。
絵に係わる話、また、仏教美術を訪ね歩いた思い出等、何時までも話が尽きませんでした。寺田一清先生と、田中妙陽さんも吉永先生の絵や、お話に大変感動され、素描集(シルクロード)、東洋の造形等の本を購入され、リュックに詰めて夜九時頃家路に着かれました。その後、感動の手紙を吉永先生はいただかれたそうです。私は夜遅くまで先生と話しつづけました。(飛天とは神仏と人間との間に飛んでつなぐ役目をするもので、飛天の心は民族の心であり、心の鏡をかえしてのみ見る事ができ、この歴史を見ると今にも時間、空間を超えて呼びかけてくる)と吉永先生はテレビに出演し、飛天の道で答えておられます。
翌日は、吉永先生に明石駅周辺を案内して頂きました。江戸時代から天然水として湧きだしている亀の水(この水はお茶に、また阪神大震災の時多くの人々が水汲みに並んだそうです)を戴きながら、天文科学館を眺めました。四月六日から開通する明石大僑も素晴らしい眺めでした。東経一一五度の子午線を確認できました。この当たりは吉永先生の最初のアトリエがあった所だそうです。毎日この辺を歩きながらデッサンをしたものですと、話して下さいました。先生のその時の様子が伝わるようでした。以前のアトリエがあった所も教えて下さいました。そして、大阪市内に出て、今年十月の個展会場である高宮画廊をみせていただきました。今回、吉永先生の素晴らしいアトリエ、そして、かつて住んでおられ、絵を描きながら歩まれた場所を見る事ができ大変有意義な旅でございました。

二十一世紀の見える人
吉永先生は、一口にこのような方であるといいあらわせません。これからの人、二十一世紀をリードする数少ない芸術家だと思います。単なる芸術家ではなく見えない力を持ち、多くの人々に勇気と、希望を与えると共に、吉永先生の絵に触れることにより、新しい何かが発見できる力を与えてくれるように思えてなりません。吉永先生は絵は壁に掛け眺めるだけでなく、光や水や風など存在の周りに漂うものを描いてこそ本当の画家であると、申されています。すでに、二十一世紀の人々が生きるべき道を、絵によって示しておられます。吉永先生と嶋野榮道老師の出逢いは更に大きな道が開かれて行く気配さえかんじさせてくれます。
まさに、時代は吉永先生の出番をまっています。私は逢うべき時に吉永先生に御縁が戴けましたこと、その御縁を繋いで下さった福昌禅寺の冨永老師様御夫妻にあらためて感謝したいと思います。
一九九八・七・三十一
(目本航空・JAL勤務)

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