吉永君、先生になる

吉永君、先生になる

久 保 房 子

吉永君は幾つもの顔を持ち、それぞれの面で活躍していますが、その一つの教育者になる時には、私か少しばかりお手伝いをしています。
吉永君との初対面の場所は大阪・梅田の画廊でしたが、なぜかその様子が『白と赤の十字路』の九一~九二頁に述べられております。そこでは、私はドイツ人の 親友ドラ・フェダさんからの手紙で画廊を訪問し、話の末に吉永君を教職に誘った。と書かれていますが、それには裏話がありました。
フェダさんはかねてから吉永君の芸術と人柄を評価しており、帰国後の日本で活躍できるよう何等かの援助をしてやってほしいと言ってきていました。
そこで、たまたま私の勤めていた学校で色彩学の講師の空きがあったのを幸いに、吉永君を候補者に入れてもらいました。会いに行ったのには面接の意味がありました。
吉永君を誘ったのは、私かこの人なら学校の期待する条件に叶うと判断して、早く事を運ぽうとしたものでした。吉永君は一旦は辞退しましたが、再交渉の結果、羽衣学園短期大学の講師に就任し、教師としての一歩を踏み出したのです。
そして間もなく、吉永君は思った以上に教職に向いていることを関係者に認識させました。準備は周到であり、授業には熱意があって、学生の人気を集める一方、若年にも拘らず指導が厳格で学校側からも信頼され、序々にキャリアを重ねていきました。
振り返ると、私の性急なお力添えから吉永君を思いがけない脇道へ導き、人生を遠回りさせたのでは――との反省の思いもありますが、それでも、その後他校の 講師も兼ね、現在、大谷女子短期大学助教授として、広く活躍する姿を見ると、あれでよかったのたと考えるようにしています。

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