洲之内徹展がとりもった縁

洲之内徹展がとりもった縁

平 松 英 志

私か、吉永邦治氏を知ったのは、平成九年七月二十六日から八月三十一日まで、成羽町美術館において、特別展「気まぐれ美術館l洲之内徹と日本の近代美術」を開催した際、五月二十七日付の手紙を頂戴した時からですが、その時、素描作品集(一、二、三)をご寄贈して頂きました。
その手紙の主な内容は、洲之内展で多くの方々に本物をみて頂ける機会ができたことを喜んでいる。洲之内様のお母さん(大阪)の住まいの近くに住んでいたので、よくアトリエに来て頂いていた。素描作品集「大阪」の本の序文は、洲之内様が亡くなられる前、病をおして書いて頂いた記念の文章で、いまだ、原稿からタバコのにおいがするなど。
このようなわけで、貴館洲之内徹展も何かの縁ではと思うというものでした。
素描作品集を手にはしたものの、私は全くの素人、しかし、洲之内徹の気まぐれ美術館に選ばれた作家に通ずるものを感じ、このことが、お二人の親交を深められたに違いないというのが直感でした。
高野山大学で学ばれた仏の世界と仏教美術は「吉永邦治の絵の世界」にも生かされ、氏の絵には、何かを人に語るものを感じさせてならない。それは、自分自身が語ろうとしているのか、その風景・人物・その人の生活に語らせているのか、過去も現在も未来も見えているような錯覚すら覚えさせる。氏の世界を感ぜずにはいられません。
そのためか、人に見せるために描かれた絵というより、自分を絵にして、自分の感情、情熱を紙の上に叩きつけ、未完成的な奥深さを感じさせて飽かせません。
氏の文中にある「インド作品が、人間の魂のふるさとへの旅の始まりになればと思う」が、吉永氏の絵画の世界への一層の開眼となることを期待して止みません。
私如き者に原稿を依頼され、光栄というより恥を忍んで拙文を届けます。
高宮画廊での「吉永邦治展」のご成功と、「吉永邦治の世界」の益々のご発展をお祈り申し上げます。
(成羽町美術館)

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