吉永さんの絵との出会い
田 村 和 司
吉永さんと出会って二十三年になる。妻が、吉永さんがお世話になっていた大阪の日本画を描く人の娘さんにピアノを教えていたことで二人で絵をみにいったのが、初対面であった。
その時、絵というものを生まれて初めて購入した。近所の.子供二人を描いた「遊び」という十二号大の絵であった。
何かアンバランスだが画家のまなざしを絵から感じたことを覚えている。当時、吉永さんが設計した島根県立はすみリゾートセンターに飾られるたしかニ十五号大?のやはり子供二人を描いた絵もみせていただいたが、良い絵で、今も残念に思っている。初対面が少し早ければ入手出来た絵であった。
数年後、広島出張の折、はるばる単線で「三好」の先まで(確か電車は二時間に一本だったと記憶している)その絵をみにいった。絵一点をみに一日費やしたことになる。当時の自分にとってそれ程価値のある絵であった。
「遊び」のあと、たて続けにサムホールから百号まで6枚購入した。
その後は、故洲之内さん(有名な目利きの画商で作家)の現代画廊でデッサンを購入したが、今は、ほしい絵があるが、大きなものは高価で残念だが買えない。
私は、吉永さんの絵にはニ十三年前から今に至るまで「悠久の永遠」(という言葉があるかどうか知らないが、永久の永遠程度の意味合いです。)を感じる。
確かに表現は変ったが絵の底には、いつも不思議とそれを感じる。私にとっての吉永絵画の魅力である。
かつて、洲之内さんが個展の案内状に書いた「別の日常をみせてくれる絵」と表現したものが、私には「悠久の永遠」である。
画壇的には、二科会、国画会等に出品していたが、賞には恵まれなかった。きっとプロ化した画家には吉永さんの絵のよさはわからないのかと、勝手に思っている。
画壇の賞は世に出るきっかけにはなるが、それが歴史に残るものとは限らないものと思う。賞を与える人達がそのような基準で選択していないと思うから。
洲之内さんがプロの絵描きたちの賛成・反対の中、「でも私は絶対。吉永さんの絵を支持する」と言ったが、同感である。
吉永さん、今後も今までのペースで僕等に別の目常をみつづけさせて下さい、チマチマした世界に背を向けて、よろしくお願いします。