「時」の絵 吉永邦治さんの作品に寄せて

東京からのメッセージ

「時」の絵 吉永邦治さんの作品に寄せて

野 村 正 育

「時」を感じる絵である。
悠久の「時」。揺るがぬ「時」。層を成して、重なり合って、歴史を形づくる「時」。
砂時計の一粒、一粒に絵の具をまぶして、キャンバスの上に降り積も
らせたならば、このような表現になるのかもしれない。
チベットーラサのポタラ宮殿のそそり立つ壁にも、シルクロードのオアシスのテントのうえを吹き抜ける風にも、そして、ホータンの女の不思議に透明な表情にも、語り尽くせ
ぬ「時」が積み重なっている。
しかし、それは剥出しのものではない。分厚いざっくりとした筆致が、ひとつひとつの「時」を見事に固定して、しかも、それでいて慎重に、透明な薄い、ごく薄い画家の主観の向こう側に整えられている。
そのようにして吉永さんは、見事に私たちに風景を提示してくれる。
初めてお会いしてから、およそ十年になる。
当時、私か担当していた「シルクロード・ロマンの旅」という番組で、「飛天」をテーマに取り上げたことがあった。西洋ではエンジェル、そして日本では天女などに通ずる、「空を自由に飛ぶ、翼の生えた超自然の存在」の図像が、シルクロードをどのように伝播してきたかを追跡するのが狙いだった。
吉永さんは、そのシルクロードを実際に旅をされ、しかも画家として「飛天」をご覧になってきた経験から、番組での解説をお願いしたのだった。
以来、作品展の案内を頂いたり、手紙の往復が続いている。
アメリカの国民的な画家、A・ワイエスが自らの表現についてこのように述べている。
「時は過ぎ行くという感覚を伝えたいのだよ。」
その静謐な画面、詩的な絵には、確かに滅びゆくもの、移ろい動くものへのオマージュがこめられている。
吉永さんの描く「時」は、さらに永続する。短いスパンで微分してみれば、動いているものの、遠近法のなかでとらえてみれば何ひとつ揺らぎがない。
先の大震災をも、そのようにして乗り越えて、静かにキャンバスに向かっておられるのではないか。そう思えてならない。
(NHK放送センターおはよう日本)

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