画家 吉永邦治さんのこと

画家 吉永邦治さんのこと

飯 吉  節 子

 私か吉永邦治さんの作品に初めて出会ったのは、武蔵野美術大学名誉教授 故山口長男先生のもとで絵を学んでいた学園在学中であった。もう二十年も前のことである。先生は、「ぜひ見ておいた方がいい作家がいる」と、現代画廊を紹介してくださった。それが、吉永さんの「大阪の街展」であった。
 その時の「文楽人形の頭」や「木津川橋」「阿倍野筋」「上本町」等々の風景を見て、色とタッチの、ほとばしるような生命感を忘れることが出来ない。何故なら、そのころ私は「画」の中の、客観と主観という点について、悩んでいたからであった。
 吉永さんの作品に接し、「主観と客観」、それはほとんど、表裏一体となって、自己の中で自然な発露をとげているのであった。
 しかも、他人を意識しない「自己爆発」の中にも客観が含まれて、ごく素直に対象をとらえ、又、対象がしめしている客観の中にも強烈な主観の受け取り方があらわれているのであった。
 その後、吉永さんの作品展が東京銀座の現代画廊である時(故洲之内徹氏の画廊)は必ず見せていただき、その後、世田谷の、故柳田国男氏の旧宅・緑蔭小舎、緑蔭館ギャラリーにては、お話をうかがい、お目にかかれたことは、大変に嬉しいことであった。
 お話の中では、「白と赤の十字路」に出てくる、吉永さんの若い日に、世界の国々を歩き、大勢の人に出会い、又、豊富な経験を通しての豊饒そのものの、楽しいものであった。氏の感覚と研鑚を感ずることができた。その克達なこと、自己の内部からの呼びかけに向っての自己探究、生命感あふるるエネルギーと、人間本来の姿を、自分自身の姿からくみあげようとすること。
 私は氏の中に、そのことを感じて、今ではもう、ほとんど出会えなくなってしまった本来の画家に出会えたように感じているのである。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください