百年前からの知人…

百年前からの知人…

相 本 洋 子

チベットからインドヘ、そして日本へ様々なご縁が重なりまして集まってきました ―曼荼羅と仏たち―永年、そのだくさんの曼荼羅の安住の地を、と捜し求めてまいりました。何度かの偶然の重なりにより訪れたこの龍神村は、空海が開いた高野山の麓に位置し、むらには「曼茶羅の滝」もありました。
日高川の向こう岸、樹々の間に静かに立つ建物とのめぐりあわせや多くの方々との出あい。そんな中から龍神村曼茶羅美術館は、誕生いたしました.高野龍神岡定公園の人自統一の中に位置し、美しい山々、清らかな日高川の流れのもとに、静かに座る曼早羅の仏たち―。
この私共の美術館へ吉永邦治氏がお見え頂きましたのは昨年のことでした。
お話を伺っておりますと、私と同じ鹿児島県の出身で高野山大ヘ学で学ばれ、しかも松長有慶先生の生徒さんであったこと、又、インドで過ごされたこと、まるで百年前からの知人にお会いしたような気がして、時間の過ぎるのを忘れお話が続きました。松長有慶先生は私か曼茶羅に出あってからのご縁で私の一番大切な恩師でいらっしゃいます。その先生の教えを受けたものとしてこれもまた曼荼羅かと思いました また、吉永先生を空気のような方だと表現された方がおられますが、真にその通りと私も同
感でございます。御人柄、いつも優しい微笑みの中で人きな心でつつまれているような思いで御会いしております。先生の絵の中にも細かい繊細な線の重なり合いの中に太いタッチがなんとも言えず、私の人好きな画家の御一人です。
つたない私の文びでございますが、これからも一生知人として同郷の一人として、御付き合い頂ければ幸いです。
(龍神村曼茶羅美術館館長)

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