-永遠の少年、吉永邦治君-
池 辺 義 教
昨今の人は近くのみを見て綾目も分かぬ遠くを見ようとはしない、大学にあっても時流に迎合する軽量な講義をよしとする風潮がある。インターネット、情報処理といったものがこれに拍車をかけている。情報の吸収でこと足れりとするは浅瀬を渉猟するのにも似ている。そこで得られる知識はほどなく涸れる泡沫のようなものでしかない。大学は学生に一つの泉を掘りあてさせ、いつの日か浪々と湧き出る源泉に到達させる道筋を会得させる場でなければならない。汲めども尽きぬ深い泉はその人の生涯を貫流するだけでなく、世界に通じ永遠に通じる。
私は1992年大谷女子短大に赴任し、そこで吉永邦治君と出あった。
私はまず茫洋とした吉永君の風貌に惹かれた。長い年月の間におのずと積もった瑕瑾の見え隠れする学園にあって、吉永君はひときわ輝いた存在であった。常套語句が飛びかうなかにあって、吉永君にあるのは深い沈黙と思索である。黙っているものだけがほんとうに語ることができ、行動することができる。考えることが少なければ少ないほど饒みである。
吉永君と知りあってまもない朱夏七月、私は加古川市の船馬画廊に赴き、「天と地と風を画く」と題された個展を参観させて戴いた。そこで見たのは自然と人間、天と地、過去と現在、什事と人生、民族と民族、人間と人間が見事に溶けあったさまを描いた素描である、路上の人、少年・少女の無心の瞳、縄跳びやブランコに興じる人たち、老人の年輪の熟した顔。いずれも端的に物そのものに追っている。一見、無造作な線のように見えながら一切の無駄なものを削りとった細さ、尖鋭さ。それぞれの民族の遠い過去がそのまま現在となり遠い未来にまで連なっている。人問はどこから来り、人間とは何であり、人間はどこへゆくのかの問があり答えがある。これはまさしく悠久そのものだ。始めもなければ終りもない。一陣の風がさわやかに流れている。これは画であるよりも精神の風光である。
多くの佛像が唯純な線で寫しとられている。佛像だけでなく、文明の火に汚されない異郷での人間の群像そのものが神聖であり、宗教画そのものに見えてくる。
ふと、「アフガニスタンの少年」と題された素描が目に止まる。細く弧を描く眉、遠くを見つめる凛々しい眼、柔らかな小鼻、僅かにほほえみの残る引き締った目元。この「少年」の像にいつかどこかで出あったようななつかしさを覚える。早速、所望し譲って戴いた。
この画は我が家の書斎の一隅に鎮座し、いつも私を見つめ、まだ見ぬものに対するあこがれを抱かせてくれている、「おとなは誰もはじめは子供であった。そのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない」(サン・テグジュペリ)。今日の人は一目も早くおとなになろうとしている。変化するものに翻弄されている。変化は必ずしも進歩とは限らない。退歩と捉えることもできるのではないか。
永遠にそのままであるようなものこそ、人間にとって本来的なものではないか。そうしてその本来的なものが人間にとってあるべきものなのではないか。
「アフガニスタンの少年」にあるのは千古変らぬものに対する郷愁とあるべきものに対する憧憬である。
人問の一頃ははかなく短い、人間の生は有限である。この有限を無限につなぐ道、それは子孫の誕生であり、自分のなしたことを語り伝えることである。
ここに生命の悠久さがあり、生の永遠がある。「一切は常に新たに常に若く、いつも若き現在の尽きぬ喜びに浸る。これが永遠である」(波多野精コ。変りゆくもの、老いてゆくもの、それは死でしかない。生の永遠は時代を超え、民族を超え、地理的空間を超えている。吉永君の求めたものはまさにそれである。人跡まばらな地を彷徨するのは苫難の業である。それを吉永君は少年のような純真さで成し遂げている。
吉永君は郷愁と憧憬の織りなす境地で生きる永遠の少年である。吉永君はヨーロッパからアジアにいたる地理的空間を彷徨し、人類の夜明けから現代にいたる歴史的時間を遡行し、遂に人間いかにあるべきかの源泉、吉永君のいう高い所を探りあてた。その眼は変化を主流とするヨーロッパよりも悠久に生きる中央アジアに向けられている。『白と赤の十字路』『東洋の造形』『飛天』『シルクロード素描集』『印度素描集』にそれが如実に示されている。吉永君の業績の独自性は学問と画業が一体となっていることである。
空間の彷徨、時間の遡行、それはまさに身体的行動であると共に精神的探求の旅である。画は身体的側面であり、学問は精神的側面である。吉永君にあるのは精神と身体、学問と画業の二元的一元性である。大学の教官として同時に画家として、今後ますますの健闘を祈ってやまない。
一九九八・七・二八(奈良県立医科大学名誉教授)