生命の気合い・・

生命の気合い・・

山 口 君 子

吉永さんの絵との御縁は、もう二十数年前のことです。神戸の画廊から個展案内状が届きました。
その日は良く晴れた日、画廊の玄関入口横に青と赤の民族上着の男女の子供が私を見ていた、私はなつかしく笑って近くへ行った。二人の子供の前から離れられず、飽きることなく見とれてしまった 会場を一巡して、又そこへ行ってしまった。私はすぐに、この『モンゴルの子供』の絵が欲しいと。言った。これが吉永さんとの出会いとなりました。
後目、『アフガンの男』を求めました。
これらの絵は私のあこがれです、又、御守りとして何十年間も私を見続けてきました。強い時も弱っている時もその顔に会うと我に帰るというか、ホツとするのです。
悩んでいる時、まともな考え? に行き着くのです。
過酷な土地に育つ人間は強くなる。吉永さんの絵の背景はいつも厳しい。モンゴルの子供達、アフガンの男の顔は、いつも記憶している。
大阪から広島へ転居することになり、私はある決心を致しました。これらの吉永さんの絵を、とても気になる心配な家族のもとへ残すことにしました。御守りと励みにして欲しいと思ったからです。
『モンゴルの子供』は、同しように、その年頃の兄妹のいる家族に、『アフガンの男』は父不在の母娘の家へ差し上げてきました、両方の絵には私の祈りが込められている。もちろん、これらの人間を産んた吉永さんの生命の気合いもある。
私は吉永さんとは何度か話を致しました。ほとんどわからないでこれ迄きました。
私自身が人間は不思議なもの、違う人々をわかるのは失礼な行為だと思っているので、それで良いと思います。言葉を通じて話が出来る人より、その万々から産まれてきた作品の人物、動物、静物に、より以上の注意、興味、感動を深く致します。
私か得た大切な御守り、それを誕生させた吉永さんに感謝致します。どうもありがとう。

過日、TVでパキスタンの男を見ました。それぞれターバンの色で人と業いがわかる。
賢人は白、商人は黄、ラクダを育て、一緒に生きるラクダのお父さんと呼ばれている男のターバンは茶色。ベツドは地球の上です。そこには、おぞましい太った人間も動物もいない。食物はとても少ない。ぜいたくな物品は生きることに優先しない。ラクダの。一言葉でお話をするお父さんは純粋です。私は幸せを同感致しました。
吉永さん、決して太り過ぎないでね。
一九九八年七月十七日

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