遙かなる道・シルクロード

遙かなる道・シルクロード

黄砂の道

蚕 の 眼

古 永 邦 治

シルクロード、西から東へ、束から西へ旅をしているなかで、バスや車で移動し、オアシスぞいの町で一時停車すると、数軒の家しかないのに、どこからともなく、子供達が素足で走って集まってくる。
やおら、スケッチブックを広げて、スケッチをしはじめると、ものめずらしいのか、のぞきこみ、子供の頭がスケッチブックにおおいかぶさり、前の砂漠の風景が、みえなくなるのである。私の前にすわりこんでいるひとりの子供に、鉛筆をわたし、画用紙の余白に、好きなように私の顔を描けとジェスチャーすると、はずかしそうに描きけじめ、頭に三本の髪の毛をつけた。それはまるで、精山から下りてきた仙人の姿、
そのものであった。
私の顔と、スケッチに描かれている顔とをみくらべた。子供達は、みな笑いをこらえていても、眼は笑っている逆に私がその了供をスケッチすると、鏡で自分の顔をみたことがないのであろう。
生まれて、はじめての自分の顔との対面である。さあ、この姿が大変である。私もぼくも、彼もと自分の顔を描けとせまってくる。はじめは、子供たちばかりであったのが、大人たらまでもがやってくる 子供達のあいだから、遠くに眼をやると、ラクダや馬やトラックが、こちらに向かってやってくる。さすがに、最後は、もう逃げたすしかない。この人達を全員描きつづけるには、何十年もここに住みつづけ描きつづけなければならない。車に乗りこんでも、まだ、安心はできない。車のあとを最後まであきらめずについてくる様に、騎馬民族の末裔の残映が、シルエットとして、夕日のなかにうかびあかってくる。
車のなかで手元に残った、スケッチブックを開け、その中に描かれている、一点を凝視している蚕の眼をした、幼児の作品をみていると、なつかしい人間に出会った時のような、自分の子供時代の頃のことが想い出されてくるのであった。

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