小さな旅  さなぎから蝶へ

小さな旅
さなぎから蝶へ

吉 永 邦 治

ヒマラヤ山脈、それは世界の屋根といわれているが、この万年雪をいだいている山脈を背にチベット高原がある。そこは、四〇〇〇メートル以上の高原であるため、空気が希薄で、大抵の旅人は、高山病に苦しむのである。世界の最高峰のチョモランマ近くの標高五、〇〇〇メートルの峠では、高山病という病自体を知らないチベットの民が、身につけているものを捨て、身軽になりながら、まるで、さなぎが殻を破って蝶になっていくような格好で五体投地を繰り返しながらカイラス山をめざしている。
また、広く深海のようなブルーの空をうつし出しているヤムドゥク湖が見わたせる頂上付近の岩場に、手に経典をもって坐禅し、目のまえに、ただよう雲から身をのり出し、雲ひとつない大空をじっとあおぎみて、何やらヴァジュラ・ダーラ・クシティガルバ・マイトレーヤ・ラトナ・サムバーヴァ・サングヤ・チャンマ・マーカーシャ・ガルバサマンタ・パドラ・ドヤーニー・ブッダ・ヴァイロチャナと呪文をとなえている民に出会った。
この想像を絶する場でのチベットの民の行為を見て功利的な現代世界に生きている私にとっては、相矛盾したこととしての心の整理ができないまま、いつまでも高原にたたずんで見つづけていた しかし、ここ高原は、空気がない。あったとしても、地上の半分ぐらいしか□から入ってこない。
少しでも多く空気を肺に送りとどけようと思って、手で空気をつかんで、口にもってきても無に等しく、自分の力ではどうしようもなく、あきらめの境地になっていた。
人間の身体というのは、不思議なもので、酷しい自然に対峙すればするほど一体となり順応していくものであると感じられた。
古来、インド人は、自然界を個人に例えて、太陽は、人間の眼であり、息は、風であると考え、大宇宙すなわち梵(ブラフマン)、個人すなわち我(アートマン)が一如とするウパニシャッドの時代の思想「梵我一如」をうみ出したが、それがいかに大変な世界であるか、実感させられた。そう思いながら、空気以上の物質的な豊かさが、人間にとって必要であるのか、自問される中で、自分の心を被う黒い雲が段々と薄らいでゆき、何か迷いに迷った自己を超越したような、大きく心聞かれた大宇宙の心に触れたような思いにいたっていった。
「われは蝶なり、汝はさなぎなり」という句を心に思い、満天の星空を見あげ、チベット高原に立っていると、何万年前から伝わってきている素晴らしい自然に生かされ、生きている自分、しかも素晴らしい自然をいだいている自分、自由自在に動く身体など、すべて自然からの借りものであるということが覚醒されてくる。自分というのは、何といとおしい存在であろうかと、想った私であった。

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