玉龍山福昌禅寺……川内

吉永邦治アートに触れる館
玉龍山福昌禅寺……川内
〒895‐0025 川内市向田町1040  TEL 0996‐22‐4363

福昌寺縁起

当山開墓石屋真梁禅師は、伊集院島津家の出自にして五山の名僧なり。
応永元年(1394年)島津家七代元久公の請いにより当山を開く その名声を慕い集まった門弟は千五百を数え、元久公は世子梅寿をその門に入れるほど熱心に帰依したという。
その後当山は、忍室文勝和尚(十五世)の代、後奈良天皇の勅願所、薩隅日三州の僧録所、藩主の菩提寺として興隆。藩内随一の大寺にして、寺高は一九五〇石、鹿児島三寺(山林・興国・妙国)や慈眼寺を始め、西日本一帯に百を越す末寺を擁したと伝わる。
忍室和尚はまた、日本にキリスト教を伝えた宣教師ザビエルとも淡淡と交わったという。あるがままに物事を受け入れる禅僧ならではの逸話というべきか。
この他、幕末の動乱期、西郷・大久保両雄が師事した円了無参和尚(六十七世)など多くの名僧を輩出するも、明治二年、廃仏毀釈の嵐の中で、知政所より廃寺の命が下る。
薩摩に根をおろした曹洞禅の法灯名跡は今、北薩川内の地で守られている。
王龍山福昌禅寺七十四世    冨 永 国 後

画壇に咲く泥中の蓮華

薩摩が生んだ傑僧、無参和尚に優るとも劣らずの傑魁が、吉永邦治氏であります。
私は、禅寺で生活させていただいておりますが、氏の描かれた『草原の輝き』という名のモンゴルの雄大なパオの光景の前で、訪れた客人達は、固唾をのまれる方、おもわず合掌をされる方等、多様な表現をして下さいます。
禅寺の聖域にも、とてもよく似合う「用の美」を備えた、魂の宿る絵でありますまた、心の眼と耳で観ると、人知も及ばない大いなるものの働きに気づき、いかに大自然と順応して生きていく心地良さが内奥から湧き上がってくる境涯を覚えます。
おかげさまで、この客間には、清らかな西風が、いつもゆるやかに流れている昨今です。
平成十年七夕の日に
冨 永 知恵子

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