高原の道
チベット聖地巡礼
吉 永 邦 治
若き日、私は西洋へ留学したが、その帰路たまたまインドに立ち寄ったことがきっかけとなって、東洋世界へ大きく足をふみ入れてしまった。
インド大陸を行脚していた時、一人の僧侶に出会ったが、彼から「あなたは、日本に帰ったら高い山に行きなさいこと告げられた。
その後まもなくインドから帰国したが、ある冬の寒い日、大阪南区の南海電車の駅の掲示板を見ていると、極楽橋の次に高野山という字が目に入ってきた。
その時、ふとインドでのことが思い出されたので、そのまま電車に乗り、高野山に登ってみたのである。
山上に着くと、不思議とインドの香りがたちこめているのを感じた。
この頃のことは、「白と赤の十字路」(京都書院刊)に詳しく書いたが、その後、さまざまな出会いがあって、海抜千メートルの弘法大師空海の開山された高野山に、五年もの間住むことになったのである。
山上で日々生活する中で、仏教・密教美術を研究するかたわら、チベツト語やサンスクリツトの古語を学んでいった、そんな中、山中に住んでいると「神山に登ると中腹は不死であり、さらに頂上を極めると霊になる。」と中国のコンロン神話にあるように、地上にとは何か違うような不可思議なことが色々と体験されたものであった。
その後、縁があり、静かで空の深いチベット高原の地へ旅をして、神と人間と自然とが合体する、なつかしい幻なる地の風景に触れる機会に恵まれた。
チベット高原は、ラサ(神の地)の町ですら海抜三千六百五十メートルの荒涼たる高地にある。また、町から町に行くにも、五千メートルもの峠を越えなくてはならない、私はラサからシガツエに向かう途中、五千百五十メートルの峠を越えたが、高度が上にがるたびにだんだん気分が悪くなり、無口になっていった。頭の中も無文字人間みたいに次第に言葉を失っていった。しかし、言葉のかわりに、さまざまな絵空事の想念、チペットのマンダラにみられるようなものが、原始的な色とグロテスクな姿をもって、内側からドロドロと生々しく満ちあふれてくるのが感じられた、さらに、チベットの人びとが、全身を地面に投げ出して修行している五体投地のような格好に、自分の身体がなっているのに驚かされた。
しかし、やはり苦しい。
これを空気が稀薄になっておこる「高山病」という病名で、ひとえに説明できるほど単純なことではないのではないか。また、これほどまでに苦しむのは、原因が他にあるのではないかと思うのであった。
そこで、あるがままの自然の中に自分を全身投げ出し、心のなかに宇宙をとり込んでみたらどうかと思ったのである。
そしてまず、さまざまに心が執着しているものの中でも一番の「生きつづけたい」という気持をここで断ち切って、自然のなかに自分の生命を一度かえしてみたらどうかと思った。生あるならば、自分の身体である宇宙から、自身が帰ってくるのではないかと思うのであった。
そう思った瞬間に、身体の苦しみがたんだん無くなり、身も心も風のようにさわやかに生まれ変わったように思われた。
やはり四十五年間生きていたなかで、地上において本来精神的に生きるべき霊的存在である人間が、物質文明によって身体が汚染されつづけていることが原因で、心身のバランスをくずしたのではないかと、高地において覚醒されたのである。