?斗雲(キントウン)に乗った日本人

?斗雲(キントウン)に乗った日本人

山 口 宗 孝

はじめてお日に掛った時、吉永さんは、日に焼けた顔の頬骨の辺が紅く肩から鞄を提げて居た。何故か私か思い浮べる西遊記の玄奘三蔵は、女身の菩薩の様に想 われ、始めて紹介して下さった女性と重なって仕舞う。はじめて引き合わせて戴いたのは、同い年の女性の高木昌子さんであった。叱られそうだが、吉永さん は、三蔵法師と天竺に求法の旅をして不滅の佛陀に出逢い、釈迦の佛法の教化された人の子の孫悟空である様に思われる。
この人にとって、この宇宙の時は、私達の持っているアナログの時計の針の様に、文字盤をグルグル廻るものでは無いし、ヨーロッパが生み出した近代文明、唯物的な文明の知識、ビッグバンで誕生したと言う宇宙、物質的な原始より始まった時間では無い。
孫悟空は最初、この宇宙は、自由自在な如意輪棒を振りかぎして飛行し、其の隅々までが究め盡せると考えていた。ところが、お釈迦様の佛法を知った時、時間は時計の針の様なモノでは無いと悟ったのだと思う。佛性が目覚めた。
吉永さんは、古代よりの佛教国に生まれた人であり、佛法が其の遺伝子DNAに刻み込まれて居る日本人である。ヨーロッパ留学の帰途、佛の神力によって導か れ、孫悟空と同様に、印度で自らの佛性を再確認した人類の一人である。印度、西域、中国と日本人との交流を描き、シルクロードの空を舞って東西を交流させ た飛天を、この画家は描き続けている。
最初ヨーロッパで西洋美術の修行をし、印度を経て日本に帰った吉永さんは、高野山大学へ入り、伝統的な日本佛教の二つの源流、顯教と密教の中の真言宗を学んだ。
一神教も密教化する時代があり、佛教もキリスト教もイスラム教も密教化した時があった。
佛教も、天台宗より出た顯教も、空海の密教も、秘密神通の力によって迷える衆生を済度した。神通力は、衆生済度の方便力である。
かつて天台より出た日本の各宗派、顕教が密教化した時、其の勢は盛んになったが、佛教本来の純粋性は失われ、自利利他の大乗思想が失われた。自己中心の我 欲を追求し、現世利益、限り無い人間的な欲望、物質的な五欲、金銭への欲望、盡きる事の無い男女の性欲や名誉欲を追求し、大乗佛教の利他の精神は失われ、 やがて世間から見放される様になるのは、古今東西を通じて変わらない。真言宗も、男女の性欲、盡きる事の無い欲望に関り合った立川流の秘密眞言の呪法は、 迷える衆生を満足させたが、宗派は衰え、純粋な信仰は高野山の中に止った時もあった。
日本真言宗の開祖、弘法大師秘密神通力は自分自身の為の自利では無い。大師は日本人の為に日本国中の佛寺を建立し、国家的な農業社会の米作りを助け、国家 的土木工事を指導し溜池を造った。弘法大師の秘密神通の力は自利を抑え利他を優先し、日本人の民衆の菩薩行、民衆の利他行に依って寺を建て万濃池等の国家 的土木工事を各所に完成させた。神通力は大衆に限り無い五欲を自制させ、我欲を殺して利他行を実践させた。其れを見た当時の嵯峨天皇の贈り名が弘法大師で ある。天台宗を伝えた最澄には、伝教大師が贈り名され、顕教も密教も国家鎮護の佛教であった。
而し、二十世紀の日本は先進的な近代文明国と交戦して敗れ、キリスト教徒に征服され支配され、軍事占領下で、東京裁判は日本だけが悪かったと軍事的に断定した。日本人の歴史は現代から古代まで悉く否定され書換えられた。伝統的な大乗佛教は国家鎮護ではなく、封建的な日本の奴隷的な民衆を支配する手先きであったと書換えられ、誤解されている。
自利よりも利他を優先させる大乗佛教が日本の佛教であるが、奴隷的支配は自利優先の支配である。日本人社会の頂点にある天皇、古代の天皇の自己中心主義が民衆を奴隷化し、幕府や役人が自利優先の支配をすると、利他が優先の大乗思想と大乗佛教が忽ち崩壊し、法隆寺等の伽藍は二十世紀まで残っていない。日本が征服されて民衆が解放されたのであったなら、六年八筒月の長い軍事占領期間に、解放された民衆の怨み重なる寺や国家的な神社は、跡形も無く破壊された筈であり、奴隷的支配の手先きは真赤な嘘である。
先進的近代文明国に征服され、今、近代文明先進国と成った日本で見えない神や佛は無視され、見えない釈迦の思想を基盤とした佛教文明が失われつつ在る。しかし、今、仏教書がブームであり、唯物的で無い思想が注目されている。其の中で真言密教が注目され、学者や文化人が密教の偉大な秘密神通力を其の著書に書き、ラジオテレビで取上げられている。注目される密教に、危険な誤解がある。
近代科学文明の物質的な力が其の装置、工場の器具や機械によって現実化するのと同様に、近代文明化された日本の学者や文化人は、密教寺院の祭壇に置かれた器具、物質的な鉄や銅の金剛杵や、陀羅尼、其れ自身に偉大な力が在ると誤解している様に思われる。其れは、見え無い神や佛の偉大な神通力を無視し、祭壇に置かれた祭器や、見えないものに対して読誦される真言宗の真言陀羅尼、其れ自身が偉大な力を秘めていると考える無神論である。祭器の呪力、神通力では無く、其れによって祭られ祈願されるミエナイモノ、神佛等が、現実的な偉大な力を発揮し、不思議な秘密神通力を顕わすのである。其の不思議は、神や佛の実在を無視する学者や文化人や日本人大衆の無神論、ミエナイモノと其の働き掛け、偉大な影響力を無視した唯物論では理解不可能である。近代文明は唯物論の文明である。
もっと悪いのは、伝統的日本佛教、大乗佛教の利他を忘れ去った事である。秘密神通の力が自利私欲、思いどおりの願望達成の手段と誤解され、陀羅尼の呪力によって其の人が神通力を獲得し、利己的願望も達成出来る、呪文で我慾が叶えられ、其れが密教と誤解する。
今も日本国中に、弘法大師が造られたと伝えられる土木工事が生きて居るし、数多くの寺があり、いろは歌があり見事な筆の跡が残っている。其れは日本真言宗の開祖、弘法大師の偉大な利他行である。日本人には、大正大蔵経一〇〇冊という佛教の根本的な基本的文献があり、顕教と密教を総合し、日本のみならす世界的文化遺産である。私達、日本人には更に、佛教受容以前と以後の文化遺産、神道大系一〇〇冊がある。其等に記録された目には見えない日本文化を基盤とし、敗戦前の日本人は神と佛を尊敬し、共に生きて来た。
中国の、明治の日本開国以前の阿片戦争、白人キリスト教徒の軍事力によって征服され近代化されて居た香港は昨年、厦門が今年中に返還される。日本もキリスト教徒の軍事力によって征服され、現在の日本は、近代文明先進国の一つと成っている。
現在の日本には、神や佛を無視する自由と人権、人間中心主義の自由と、他の生物や、其の上で生きて居る地球さえ無視する人間中心の民主主義があり、公害と汚染により生活環境はギリギリまでに悪化している。最初の公害の一つ、光化学スモッグは、物質中心の近代文明が普及した高度成長期、一九七〇年代に始まっている。
日本人の近代文明は其の殆んど全てが日本敗戦以後、征服されて五十二年間の文明であり、その僅かな期間に普及した唯物的な文化の文明である。敗戦後の京都博物館の泰西名画の展示、最初のルーブル博、其の油絵の色彩と強烈な印象は今も残っている。しかし、ヨーロッパの近代的な絵画の裸婦画は、強い印象は残したが、私に安らぎを与えるものでは無かった。裸身と五欲が誇示されていた。
ニーチェが神は死んだと言った様に、近代ヨーロッパの人間中心主義、キリスト教徒の神を無視するヒューマニズムの絵画には、唯一絶対な神の律法を無視した自由と、人類の強大な、止るところの無い人間的な欲望、五欲が露出され誇示され賛美されている。而し、日本の伝統的な文化にも絵画にも、公衆の面前で見せる裸体画は無かったし、五欲の賛美は無かった。佛法は五欲を抑制せよと説く。
最初の泰西名画展を見て、五欲に、人間的な甘美な、強い刺激を受けたが、心の安らぎでは無かった。其れは、私が受け継いでいる遺伝子DNAに刻まれている日本人の文化、見え無い先祖や、神や佛、ミエナイモノを敬う伝統的な文化であった。人間的な五欲を抑制せよと教えた、伝統的な佛教文化であったと考えられる。私自身のヨーロッパ中心主義から覚醒て気が付くと、旧約聖書では、他人の裸体は勿論の事、子が親の裸を見る事さえ禁止されている。
裸体画は神を冒涜している。
七月十四日はパリ祭、自由の女神が民衆に自由を与えた祝祭の日であると言われるが、キリスト教徒の唯一絶対なる神は厳格な律法を与え、裸婦画も、人間中心の自由も、神を中心とせず、人間を中心とする民主主義も、厳しく禁止する。聖書に、明記してある。
吉永邦治さんの絵には安らぎが在る。騒然として唯物的な思想となった日本の国、この邦を治め、鎖静させる平和がある。日本が征服され支配されて平世紀を過ぎ、ヨーロッパの近代文明が日本人の文明となっている。モノは豊かに、なに不自由のない国となったが、唯物思想と自己中心主義でザラザラに砂漠化した日本人の心を、安心させる平和がある。
心の平和を取戻した時、現在の日本人から失われている日本人らしさを取戻す事が出来る。どうぞ一心、一層の精進を祈り、願っています。
合 掌

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください