飛天に結ばれし縁

飛天に結ばれし縁

服 部 比呂美

「飛天に結ばれし縁」l私は、吉永先生とのご縁が、まさにこの表現の通りだったと思っております。
それは、数年前、母校の大学の附属博物館に勤務し、収蔵品の調査を進めていた私が、「学生のために役立てて欲しい」と恩師から寄贈された数多くの拓本の中に、竜門・鞏県両石窟のそれぞれの飛天の拓本を発見した時に遡ります。
現在こそ中国でも文化財の保護が叫ばれ、優れた拓本も入手しにくくなりましたが、恩師が渡航したころはまだのどかな時代だったのでしょう。それらは丁寧に 時間をかけて取拓されたことが明らかで、殊に鞏県の飛天の方は、優しい微笑み、まろやかな肢体の線などが実によく写し取られており、彼の地の柔らかな石質 や色までが甦るようでした。
この日から私は飛天の虜となり、これらの拓本を中心に、多くの人に飛天の美しさを知ってもらえるような展示の実現を夢見るようになったのです。展示の企両はとにかく綿密な調査から始まるので、私は毎日図書館に通い、飛天に関する情報収集を始めました。
ある日、いつものように図書館の開架図書を眺めていた私の目に、厚さ5センチほどの藤色の背表紙が飛び込んできました。
これこそが、源流社から刊行されていた、吉永先生のご著書である「飛天」だったのです。この本との巡り合いは、自分の今の気持ちにそのまま応えてくれたようなもので、運命の出会いと思う他ありませんでした。
これには、先生がその地に赴き、ご自分で撮影し、写生された世界中の飛天が満載されており、その中には今や壊滅的な状況になってしまったというバーミヤン 石窟の健全な状態の写真もありました。このような学術的に意義のある内容はもちろんですが、私がこの本に魅せられたのは、著者のそれぞれの飛天に対する細 やかな愛情が読者にダイレクトに伝わり、全体的には飛天の美を讃える一大詩のような構成になっていることでした。そして、この本をそっくり展示の形にする ことが、私のやってみたい展示と等しいことに気付いたのです。
読後すぐに、吉永先生へのファンレター(?)を書きました。先生のご住所はわかりませんでしたので、とりあえず源流社宛に出させていただきました。差出人 は見ず知らずの者ですし、内容は本の感想文と、展示が実現できたらご指導賜りたいなどという図々しいものでしたので、当然相手にされるわけがないと思って おりました。
しかしそれから一週間もたたないうちに、先生から直々にファックスをいただいたのです。しかも、いつでもご指導下さるという温かいお言葉で、これは夢ではないかしらと思いました。その後も私が質問の手紙を差し上げるたびに、きちんとお答えを下さるのです。
ところが、残念なことに、その後私は個人的な事情で急速退職しなければならず、結局、飛天の展示は実現できなくなってしまったのです。退職を決めた時は、 仕事に対する未練よりも、拓本を寄贈して下さった恩師の気持ちに応えられないことと、吉永先生との約束を果たせぬふがいなさで、本当に苦しい気持ちでし た。だからといって、古永先生に何も申し上げないのはもっと失礼です。重い気持ちのまま筆を取り、先生にいろいろ教えていただきながら、展示を実行せずに 退職する無礼をお詫びしました。きっとご立腹されるに違いないと暗澹たる気持ちになりました。
ところが、先生は再び、すぐにお返事を下さったのです。しかもその文末には「念ずれば花ひらく」とあり、逆に私を励まして下さっているのです。「自分が本 当に実現したいことは、どんな状況にあっても願い続けていれば、いつかは実現する機会が巡ってくる日もある。だから落胆しないように……。」私は先生の短 いお言葉をそのように解釈させていただきました。
残念ながら、吉永先生にはいまだお目にかかったことはございませんが、お目にかからなくても先生のお人柄を知るには今までのことで十分であったように思っております。
この夏、私は「いつの日か実現したい」飛天の展示の準備のために、敦煌の飛天に会いに行って来ます。
そのツアーの名称は「吉永邦治先生と行くシルクロード浪漫紀行」なのですけれど。

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